無宗教主義・無神論者が神様を知り聖書を読むようになるまで

神様や信仰とは縁遠い人生

今でこそ、聖書を読み、神様に祈りを捧げる生活を送っていますが、以前の私は宗教や信仰とは無縁の生活を送っていました。

人生の中で宗教的なものといえば、仏事(仏教)や初詣(神道)といった行事、地域の祭りに出かけて行く(ご神体への参拝はしない)程度で、高校生の頃には初詣や祭りにも行くことはなくなっていました。

もちろん、家にある神棚にお祈りをしたり、仏教のお経を読んだり、戒律に従って生活をしたことはありません。

また、オウム真理教が引き起こした一連の事件、統一教会の合同結婚式などのニュースを見聞してきた影響もあり、新興宗教(カルト宗教)に対しての嫌悪感。

伝統的な仏教にしても、戒名が値段でランク付けされていることで、「結局は金儲けか」という不信感を持つようになり、宗教嫌いとして「無宗教主義」を公言するようになっていきました。

古事記や日本書紀に登場する八百万の神、菅原道真や徳川家康をなど実在した人物が神として祀られていたり、動物であるキツネを神として祀っている稲荷神社など、全国各地に神社が点在する日本。

また、古来からある自然信仰(ドルイド教・ゾロアスター教に由来)が風習として残っている日本では、山などの自然の中のありとあらゆるものにも神が宿っているという考えもあります。

このように多くの神がいるということが、祈りの対象として神様の存在があいまいで不透明となり、かえって「神様って存在するのか?」と疑問に思い、次第に「無神論」的な思想になっていました。

このように、日本に伝統的に伝わる宗教(仏教・密教)や信仰(神道)であっても無関心であったので、いわゆるキリスト教に対しても、子供の頃に抱いた「外国人(西洋人)の宗教」という固定観念が頭の中にあり、神様(主)は私にとって縁遠い存在なのでありました。

RAPTブログとの出会い

知人のブログが登録していたランキングサイトをきっかけに陰謀論系サイトを知り、新たな情報を手に入れるため、毎日それらのサイトを巡ることが日課となっていました。

当時見ていた陰謀論系ブログやネトウヨ系ブログでは、特定の勢力を敵対視または支持するサイトが多く、中立公平な立場・視点でないことに違和感を覚え、次第に惰性でサイトをチェックするようになっていきました。

このような生活を続けるうちに、ブログの引用参照元のリンクを辿り、自分と合う新たなサイトがないかと探している時(2014年7月末)に出会ったのがRAPTブログでした。

このRAPTブログからは、中立的な立場で真実を求め世の中を支配する悪の正体を突き止めようとされるRAPTさんの熱意を感じました。

以前に見ていたサイトは、口調が攻撃的であったり、わざと読者の頭を混乱させようとしているとしか思えない難解な文章があり、読むことに苦痛を感じるものさえありましたが、RAPTブログは理路整然とした文章で読みやすかった点でも他とは異なります。

RAPTブログに出会ってからは、違和感を感じていた他の陰謀論系サイトを見ることはなくなり、RAPTブログを除いてブックマークからすべて削除していました。

RAPTブログが他のサイトと決定的に違ったのは、聖書に書かれていることをベースに、悪魔が人間に悪影響を与えており、世の中の支配層が悪魔崇拝を行い、悪魔の力を利用して民衆を支配している構造を、具体的に解き明かしていったことです。

その後、RAPTブログは多くの世の中の謎を解いていくことになりますが、RAPTさんの情報収集量、それらの情報の分析力、ブログの更新スピードは、人間業とは思えないほどで、まさに神懸っていたとしか言いようがありません。

RAPTブログを通して悪魔の存在を知り、その悪魔から身を守るためには、聖書を学び信仰を持つ他ないと教えられた私は、今までの「無宗教主義・無神論」という考えを捨て、聖書を読み、神様に祈る生活を始めたのでした。

あなたに神様の救いと祝福がありますように。