放蕩息子のたとえ話で神様の愛を知る

神様は心から罪を悔い改めることで、喜び祝ってその愛を豊かに与えてくださいます。神様の愛を知り、神様に心から感謝する。放蕩息子のたとえ話は日常で忘れがちな神様への感謝の心を取り戻し、心のズレを修正してくれます。

自分の足りなさを認めて神様にすがりつくこと

人は神様から与えられているものを、まるで自分で手に入れたもののように勘違いし、思い上がって生きています。神様はそんな高慢な人は憐れまず、自分のことを小さくて惨めな者だと認め、神様にすがりつく人を祝福してくださいます。

プライドを捨てることが人生の成功につながる

人生の成功の秘訣はプライドを捨て素直に成功法則を実践すること。自分のプライドにしがみつき、成功法則を自己流にアレンジして行っても、人生を成功させることはできません。

二心を捨てるには

神様は「神と富とに仕えることはできない」と仰り、二心を持つことを禁じられます。しかし、人には欲があり、この世のものを求めます。どのようにすれば、この世のものに対する未練を断ち、二心を捨てることができるでしょうか。

二心を捨て神様を愛すること

聖書に「神と富とに仕えることはできない。」とあるように、神様に対して二心を持つことは罪とされています。二心を捨て神様を愛することで、神様は祝福を与えてくださります。では、なぜ二心は罪になるのでしょうか?

神様を愛するとは?

イエス様は第一の戒めとして「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と仰います。神様を愛するとは?神様を愛するには何をすればいいのか?聖書を読みながら答えを探してみました。

無宗教主義・無神論者が信仰生活を始めた理由

無宗教で信仰を持たずに生きていると自分の生死や霊の存在に無頓着になります。しかし、神様と悪魔の存在を知り、自分が悪魔に支配され生きていたと知ることで、神様や悪魔の存在を無視し信仰を持たずに生きる愚かな自分を知りました。

自分本位の信仰生活

信仰生活を送っているつもりでも、自分の考えを変えず世の中のものを愛して生きるなら、その生活は無信仰の時と変わりません。やっているつもりで自己満足していれば、いずれ悪魔の誘惑に負け、信仰が破綻してしまいます。

はじめに

今まで宗教や信仰とは無縁で生きてきましたが、神様(主)と聖書に出会い、クリスチャンとして信仰生活を送るようになりました。まだまだ信仰生活を始めたばかりで、悟りも少なく、まだまだ捨てるべきものが多い小さき者ですが、御言葉を聞き、聖書を読み学んだことから、少しずつでも悟りを得られるように奮闘しています。